〜俳句と川柳 その4〜

正岡子規の登場です、子規の芭蕉評。

芭蕉俳諧は、従来の貞門俳諧や談林俳諧とは、

まったく別種の文芸であるとの認識である。

子規は「発明」と言い、「創開」と言っている。


芭蕉がいなかったらば、子規の「新俳句」は

生まれていなかったであろうし、子規がいなかった

ならば、今日の俳句も、また、なかったかもしれ

ない。・・・・・江戸俳壇は、多士済々、鬼貫、

蕪村、一茶以外にも、独自の俳諧世界を構築した

俳人は、もちろん、たくさんいた。が、芭蕉以降

俳人は、一人の例外もなく、芭蕉が「発明」した

ところの俳諧に列なっている。・・・・・


子規は、新聞「日本」に「俳諧大要」の執筆を

はじめ、その冒頭で次のように言っている。


俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に

美の標準は文学の標準なり。と。そこに「美」が

存在するか否かで、文学であるか、ないかが決定

するというのである。  「俳句と川柳」復本一郎著より

「美」の存在の有無を文学にも求めた子規も革新者

ですよね。「感性」の「美」ですね〜(*~~*)V


昨日の事件の全貌報告です。

約一週間前、蕾が三つの寒蘭が、二つ咲いたのですが

なんと、舌(ぜつ)という部分(めしべみたいな舌みたいな所)が

二つとも欠損していたのです。

一番上の蕾が咲いたので見ると、えぇっ!!!

舌が2枚あるのです。40年間近くで初の経験!

「突然変異なのか?奇形なのか?・・・・・」

                   つづく