〜俳句と川柳 その3〜

俳句も川柳もいろんな道を経て現在に至って

いるわけですが、芭蕉の革新性に注目です。


芭蕉以前の俳諧文芸においては、もっぱらいかに

読者(仲間)を笑わせるかに全エネルギーが注がれて

いたのであり、その世界は、知的、観念的になら

ざるを得なかった。対象を見ることをしないで、その

対象をテーマとする作品を作り、それが俳諧という文芸

であったのであり、誰一人として、それに対して疑問を

持つ俳人はいなかった。孜々として哄笑性に満ちた俳諧

作品を量産していたのである。そんな時代が二百年近くも

続いていた。―そして、そこに登場したのが芭蕉だった

のである。

芭蕉にとっての最大の課題は、自らが携わっている俳諧

の発句を、「狂句」(「笑い」の句)としての側面を残し

つつ、いかに文芸的に質の高いものにするか、という

ことであった。芭蕉が従来の「笑い」俳諧を超克した

一句、それが、<古池や蛙飛びこむみずのをと>だと

いわれている。開眼の句であり、この句によって

蕉風が、確立したと見るのである。

私達がやっている俳句作りの方法を、最初に始めた人物が

他ならぬ芭蕉だった。

芭蕉にとっては、古池の静寂が、蛙が飛び込んだ音によって、

一瞬ではあるが破られたことが面白かったのである。

芭蕉は、「感」じる俳諧を創始したのであった。

         「俳句と川柳」復本一郎著より


芭蕉が俳句の元祖なんですね♪ 納得〜(*^_^*)


あ〜っ!! 事件発生!!

                            つづく