〜俳句と川柳の違い その2〜

「季語」は解りますが、「切れ」というのが何なのか

解り辛いのですが、連歌師良基が『僻連抄』において

「切れ」の有無の見分け方を記しています。

著者の解説より、五・七・五の十七音の句の下に

「かな」を付けてみて、すんなりと意味が通れば、

「切れ」がないのであり、ぎくしゃくとして何か変

だったら、それは「切れ」がある証拠だというのである。


「切れ」があれば、「発句」であり「俳句」なわけですね。


前日の千代女の句に「かな」を付けてみると、

 朝顔釣瓶とられてもらひ水(かな)

 朝がほつるべとられてもらひ水(かな)


朝顔に>の方は、スムーズに意味が通りますね。

朝、水をくもうと釣瓶井戸の所へ来てみると、釣瓶の

縄に朝顔の蔓が巻きついていたので、動かすこともため

らわれ、隣家で水をもらうことになったよ、との意。


<朝がほや>の方は、何をいっているのか解らない。

「や」が切字として働いて一句が「切れ」ているからである。

朝早く起きた作者は、まず、朝顔の精爽感溢れる美しさに

目を奪われるのである。ところが、その朝顔の蔓が釣瓶井戸

の縄に巻きついていたのである。朝顔の美しさゆえに、隣家に

水をもらいに行くこととしたのである。

切字「や」によって、紛れもなく二重構造性と完結性を獲得

し得ているのである。   (俳句と川柳 復本一郎著より)


何か専門的に解って来たような気がしてきました。(*^_^*)

          


寒蘭が満開です〜何とも言えない上品な香りが♪

一句 ”ほの甘く 香る寒蘭 清楚なり”

                          つづく