〜俳句と川柳の違い その1〜

”俳句と川柳 「笑い」と「切れ」の考え方、たのしみ方”

                    復本一郎著

を読んでいます。本文中から抜粋します。

まず、誕生の時期が違っていた。俳句のルーツである俳諧

アンソロジー『竹馬狂吟集』の成立は、室町末期の明応八年

(1499)であった。川柳のルーツである「江戸川柳」の最初の

一枚刷「川柳評万句合勝句刷」が発行されたのが宝暦七年

(1757)であった。すなわち、川柳のルーツ「川柳点」の誕生

は、俳句のルーツ発句の誕生よりも二百五十八年も後のこと

なのである。

ところが、川柳のルーツ「江戸川柳」は、俳句のルーツである

俳諧から派出したところの雑俳前句付という文芸として誕生

したものであった。それゆえ、俳句と川柳とは、血縁関係にある

文芸であると言っていい。源流をまったく異にする文芸ではない

のである。かくて、俳諧発生時からの特質の一つである「滑稽性」

(「笑い」)は、川柳にもかかわる特質だったのである。

しかし、今日、俳句は、すっかりといっていいほどに「滑稽性」

とは無縁な文芸になってしまっている。一方、川柳においても

一部の人々においては、なんとか、その特質としての「滑稽性」

を払拭しようと努めているかの感さえある。これは「滑稽性」を

文芸に不要の要素と見ようとする、というよりも、むしろ詩性を

妨げるじゃまな要素と見ようとする傾向が、俳句サイドの人々にも

川柳サイドの人々にもあるからであろう。

対して、私は、今日、俳句においても、川柳においても「滑稽性」

は、すこぶる重要な要素である、と考える立場をとる者なのである。

著者にとって「滑稽性」は重要な要素と言われてることに共感

しました。

また、俳句と川柳の「笑い」の違いを女流俳人千代女の発句

二句で例にあげられています。

  朝顔釣瓶とられてもらひ水

  朝がほつるべとられてもらひ水 

読者の皆さんは、どちらの句を面白いと感じられるであろうか。

朝顔に>の句は、平句的作品ゆえに平明で、作者千代女の

言わんとするところが、ストレートに伝わってくる。

一方<朝がほや>の句は、紛れもない発句ゆえ、読者は

イメージを追いかけ、それを結びつけなければ、面白さが

わからない。別種の面白さなのである。・・・・・・・・

朝顔に>の句は、収斂する「笑い」であり、<朝がほや>

の句は、瀰漫(びまん)する「笑い」である。・・・・・・

まだ、入口にはいったばかりですが、なんとなく解ってきた

ように思います。

                  つづく

割ったらいけないので、句と一緒に飾っております〜♪